「何が起きてもおかしくない」で始まった2001年ももうすぐ終ろうとしている。21世紀の幕開け、この1年間は国内外まさに最悪の年であったと思う。
しかし、年の暮れに孫が生まれる…この事が今年たったひとつの最良の事になるか、あるいは最悪の年に相応しい事態になるのか、それは解らない。初孫である。
今年8月にこのホームページで「娘を嫁がせた父親の気持ち」という内容で正直な気持ちを書いた。娘の結婚そのものに複雑な腹立たしさを感じた上に、俗に言う今風なもので「できちゃった婚」「地味婚」「年下亭主」、全て私の想像の絶する結婚であった。そして予定通りにまたも想像できない状況がやってくる。
普通の親は、孫が五体満足で生まれ親子元気でいてくれればと願い、孫と接する様になれば無条件に可愛いものだ…と言う。私にはまだそんな気持ちは解らない。ただ、日頃から自分の命は自分だけのものではない…と言ってもきたが、それはあくまで数万人の社員とその家族や学生教職員を抱える事業家として、地球の上に立ったものの考え方をしたい、人に喜ばれる事、社会貢献をしたい…という気持ちからであった。
しかし孫の近い誕生を意識し出すと、別の意味で自分の命、受け継がれていく命というものを考えざるを得なくなる。同時に自分の過去を始めて振り返る機会を与えられたようにも感じる。
思えば私は10才頃までは身体が弱く病気ばかりしていた年代で、10〜20代はいわゆる不良少年でグレて遊んでいた年代、20代半ばからは徹底的に勉強をし、多くの人生の先輩方から様々な教えを受けて世の中を知った。今思えば痛い苦しい思いもしたが、学んだ事すべては豊かな肥やしとなったと思っている。
32才で当時最年少で参議院議員に初当選以来、1回の落選経験もあるが20年余りの政治家活動を辞めてからは会社の健全経営に力を注いでいる。こうして思い返してみると、私は特別に頭が良いわけでもなく、英語も特別に堪能というわけでもない…人より少しばかり数字と計算に強く、記憶力が良いというだけだが、常に真剣勝負で精一杯生きてきた事だけは確かな男である。本音でものを言い行動してきたから、立て前論は大嫌いだ。
そんな私に先日一枚のカードが届いた。娘・友理の親友からのものだった。
そのカードを開くと「友理パパへ」とあり「”おじちゃま”も、もうすぐ”おじいちゃま”ですね。来年は還暦のお祝の年で、父親として愛娘を嫁がせ祖父となり…責任の8割は終了。これからはおじちゃまの人生を楽しんで下さい」という小さな文字が並んでいた。私は”8割は終了”というこのストレートで飾り気のない言葉に目が止まり、またまた複雑な思い…寂しいような嬉しいような何とも言えぬ思いがした。
確かに孫は生まれても育てる責任は無い、気は楽だ、だから無条件に可愛い存在なのだとは思う。私の娘は嫁に出したのだ。子供を生んで育てて初めて解る事もあるだろう、人生で解らぬ事も出てくるだろう、その時、初めて自分を育ててくれた親の存在の重みを知る事になるかもしれない。私の責任は8割終ったとしても、娘夫婦にも孫にとっても重い重い親であり続けるために、私もさらに努力を続けようと思う。残りの2割を100%真剣勝負、本音で生きていくつもりだ。
そういう意味では来年迎える私の還暦は、単に3回目の成人式であり、私はまだまだ現役で頑張るつもりでいる。娘や息子になめられたら終りだから。








